この山車は芦ケ久保にあった2台の中の1台で、3層の笠鉾である。かつては旧暦6月15日に森下地区天王山の八坂神社の夏祭り(現在7月21日)で奉曳された。当初は屋台であったが、明治30年頃、心柱を立て笠鉾とした。
屋型の彫刻は地元の彫善(浅見善次郎)の作といわれ、台車は正面1.45m、側面2.3m、高さ1.6mを測り、心柱高は8.5mである。
奉曳は天保11年(1840)頃より始まり、川地から道幅が狭くて、勾配のある「七尺道(道幅7尺の意味)」と呼ばれている旧道を約500~600mの間、半日くらいかかって白鬚神社まで曵いたという。道幅が狭いので、心綱を引く若者が畑や林の中へ縦横に走り廻って、山車を支えなければならず、これが重要であり、見ものでもあった。
そして神社の前で、隣接する大畑地区の笠鉾(現存せず)と曳き合せ神事を行ったものである。