井戸は武甲山御獄神社里宮の鳥居の東側、城谷沢沿いに位置し、深さは4mを測る。『横瀬村史』(1952年刊)によれば、根古屋城に居住していた浅見伊賀守慶延が、地元の産業として絹布の生産を奨励し、その染色に用いた井戸といわれる。後にこの付近から産出した絹は根古屋絹、もしくは根古屋といわれるようになり、無地織物の代表的なものであった。現在でも絹の無地の裏地を根古屋というが、当時の根古屋絹が品質優秀で広く知られたため、地名が裏地の代名詞になったものである。そして根古屋絹は秩父銘仙へと発展していった。