かつて武甲山の山頂には、蔵王権現社・熊野権現社・大通両権現社やその末社などが所々に鎮座していたという。蔵王権現社が本社とされ、明治初期には御嶽神社と改称された。
その御神体が安置されている神輿形宮殿は、御嶽神社本殿の中に鎮座しており、武甲山にふさわしい堂々とした貫禄と気品を漂わせている。
大きさは屋根の幅87cm、台の一辺73cm、高さ108cmを測り、総体槍鉋仕上げで、丹塗りの痕跡が認められる。軒の垂木を放射状にくばった扇垂木は、県内最古の技法とみられ、大きな胴、玉垣、組物、簡単な軒先、葱花(ねぎの花)をかたどった屋根飾りなどに中世末の特徴がみられる。
『新編武蔵風土記稿』(文政8年〔1825〕)に「日本武尊神体木立像長一尺五寸、丹塗ノ神輿ノ内ニ収ム」と記されているが、御嶽神社の本殿内に安置されており、公開されたことがなかった。昭和50年現在地に遷座のおり、本殿の解体移転にともない、宮殿の修理も実施した。その時の調査に基づき複製を製作し、これを横瀬町歴史民俗資料館の中央に町のシンボルとして展示している。