加藤家は、鉢形城主北條氏邦の家老・加藤駿河守の子孫で、代々中郷の名主の家柄を伝え、四郎次・四郎左衛門・亀三郎・四郎治は、それぞれ、忍藩秩父領の割役名主(名字帯刀)をつとめている。
当家所蔵の古文書は近世の地方文書、秩父領の割役名主「御用日記」の他、「北條氏直感状」、「横瀬郷年貢割付状」、「北條氏邦印判状」などの数少ない中世文書が保存されている。
「北條氏直感状」は、去る17日甲州北谷表で、敵一人を討ち捕ったことは高名なことであり、感悦した。今後も活躍するように、との文書である。
「北條氏邦印判状」は元亀3年(1572)、朝見伊賀守に宛てた文書で、上杉一揆が名栗谷を通り、都摩坂(妻坂)を越え、持山に楯籠ったので、根古屋城へ派遣する。これより東は正丸峠、西は坂氷、南は生川沿い、北は横瀬山田村境の支配を許可する、というものである。
なお、これらの複製は横瀬町歴史民俗資料館に展示してある。