気楽流柔術は、戦国時代の武技から発達したもので、本来、攻撃してきた敵を必ず倒すことを目的とした武術であり、太刀を持つ敵には、太刀・棒・鎖鎌等で応じる術も多く、当て身や逆手を好んで使った。
この顕彰碑は明治26年(1893)に建立され、篆額は松方正義、撰文は石川英、書は巻菱澤、刻は廣群鶴による。
加藤軍司良正(1820~1892)は吉田町久形に生まれ、本町根古屋の加藤家の養子となった武術家である。気楽流柔術第12代菅沼勇輔良金の弟子で、第13代を受け継ぎ、自宅に道場「英武館」を創立し、横瀬や秩父に同流を普及させ、本橋惣五郎満之(前出)、町田為之助良則、加藤武市良金らを育てたのをはじめ、門弟は1,000人を数え、他郡他県にも及んだ。また群馬県藤岡市にも道場を開設した。
幕末には忍藩の捕吏20人を退けた賊を捕縛したり、吾野・芦ケ久保まで敗走してきた振武軍7人を捕らえるなど名声をあげている。