板碑は鎌倉時代に起こり、室町時代に形式化しながらも増加し、中世に限って造立された石造りの卒塔婆の一種で武士の間で広まった供養塔である。先祖の追善供養や自己の生前に行なう逆修供養のために建立。全国でも特に埼玉県を中心に関東各県で発達した。
この板碑は、芦ケ久保・大畑地区の畑より2基出土したものである。1基は高さ78.5cm、幅23.0cm、厚さ3.8cmで、建武2年(1335)12月の銘があり、もう1基は高さ74.3cm、幅23.5cm、厚さ2.6cmで、建武3年(1336)8月の銘が刻されている。両者とも緑泥片岩が用いられ、年号の上部には蓮座にのる種子キリーク(阿弥陀如来)が彫られている。これらは横瀬町に現存する板碑の中では最も古いものである。
なお、この板碑は現在、横瀬町歴史民俗資料館に展示されている。