摩利支天像は、地元の剣術家加藤平八から気楽流柔術十四代本橋惣五郎(1842~1912)が譲り受けたもので、それ以前は久那の新井氏が所持していたものと伝えられる。明治43年に惣五郎が門弟たちと図って、小持山にある持山寺(通称)の阿弥陀堂を当地に移転し、この像を本尊として祀り、武道家の守り本尊としたのが摩利支天堂のはじまりである。
本尊は木瓜型厨子内に据付けで納められており、厨子内の岩崖上中央上段に猪に騎乗し、三面六臂、半跏の摩利支天、その上下左右に多聞、広目、持国、増長の四天王を配す。
いずれも小像ながら形勢整い、精巧緻密な仕上がりを示し、面貌表現や動勢把握などの細部の描写にも完成度の高い技術がうかがえる。
作者は、京都七条仏師系の一流仏師と思われ、江戸初期彫刻の秀作の一例に加えられる作品といってよい。