持山寺(通称)跡は「阿弥陀山念仏寺」の廃寺跡であり、武甲山から続く小持山の山腹、標高およそ900mに位置し、生川の源流にあたる場所に所在する。
杉におおわれた平坦地には、堂宇の基壇や嘉永7年(1854)、鎌屋藤兵衛の供養のため下影森の人たちが建立した宝篋印塔が残されている。
周辺には竹林・滝・池跡などの他、入定場と伝えられる石室が現存し、その脇には元和8年(1622)4月15日伊奈半十郎と地元の富田吉右衛門が井上雅楽介、富田内匠、高野上右衛門ほか二千万人の供養のため建てたと記される光西塔(宝篋印塔)が残されている。
近くの巨岩下には塔場といわれる平場があり、行場とも観音跡とも言い伝えられている。
本尊の阿弥陀三尊と阿弥陀堂は札所八番西善寺に移され、後の明治43年(1910)頃、阿弥陀堂は川西の摩利支天堂として移建されたという。
持山寺は駿河大納言松平忠長の子、松平長七郎の入定伝説をもつことでも知られている。