幕末から明治にかけて秩父では、気楽流や奥山念流の柔術が盛んであった。
気楽流柔術第14代本橋惣五郎満之(1842~1912)は加藤軍司良正に師事し、明治25年(1892)自宅に道場「弘武館」を創設して、嗣子・第十五代萬作忠義とともに、加藤家の「英武館」と連携して気楽流の普及に努めた。弟子は町内から県外までに及び、本橋家には当時の資料が、ほぼそのまま保存されている。
巻物には「目録(一人前の武術者と認める資格)」、「目代(師範代であり、師匠に代わって弟子取りができる資格)」、「三流皆伝免状(全てを修得して授けられるもので、1,000人の門弟中数人にも満たなかったという)」の免許状の他、6巻を数える「神文書(入門者が流法や修行心得を厳守することを神仏に誓約し、血判を押した巻物)」があり、昭和11年(1936)に至るまでの入門者が記されている。
稽古用の小具足には十手・両分銅・鎖鎌・六尺棒・乳切木などがあり、その他「弘武館」額装・摩利支天像軸装・門弟名簿などが伝えられている。