芦ケ久保の入山地区の追分にあり、ミツデカエデの大木の下の秩父側に立てられている高さ90cm、幅46cm の自然石の道標である。 右は名栗・八王子と記され、山伏峠を越え、名栗村で、根古屋の生川沿いから妻坂峠を越えてくる道と […]
城跡は、大机山から西へ延びる尾根の末端にある。東側を除く他の3方向は生川と天狗堂沢に囲まれ、急峻な地形を呈し、妻坂峠からの秩父街道を監視する位置にある。 本郭は標高480mほどにあり、河岸段丘との比高差は200mを測り、 […]
この城跡は、大机山から北へ延びる尾根の末端にあり、横瀬川、生川、小島沢、城谷沢に囲まれた山城で、正丸峠からの秩父街道を監視し、「前山」とも「城山」とも呼ばれる。 本郭は石灰岩の採掘により破壊され、一部が残されるのみである […]
萬松山大慈寺(曹洞宗)といい、円通伝によると延徳2年(1490)開創東雄朔方禅師(大和尚)により開山、本尊は聖観音(伝惠心僧都作)である。「長享二年秩父札所番付」(1488)には、寺号大慈寺が記されている。 仁王門は、樓 […]
明星山明智寺(臨済宗)といい、建久2年(1191)明智禅師が堂を建てたといわれている。本尊は如意輪観音(伝惠心僧都作)である。 縁日は正月1月16日と盆の8月16日で、安産守護の観音として、近在の婦人たちの参拝で賑わう。 […]
町指定史跡(昭和48年1月31日指定) 清泰山 西善寺(臨済宗南禅寺派) 秩父三十四観音霊場 札所八番 東国花の寺百ヶ寺 埼玉1番 禅宗寺院としての開山は北条家出身の田村円福寺第三世 竹印昌岩和尚(1464)   […]
札所七番堂は牛伏堂といい、本尊は十一面観音(伝行基作)である。当初、根古屋3区の牛伏にあったが、天明2年(1782)の災害にかかり別当寺の法長寺本堂に移され、これ以降、合わせ祀られている。このことから、現在、法長寺は札所 […]
札所六番堂は荻野堂といい、本尊は聖観音(伝行基作)である。縁起によれば、本尊は武甲山頂の蔵王権現社に永く鎮座していた後に、荻野堂に移されたと伝える。当初、荻野堂は苅米5区の竹の後にあったが、火災に逢い、宝暦10年(176 […]
小川山語歌堂(臨済宗)といい、本尊は准胝観音である。本間孫八が慈覚大師作と伝えられる准胝観音を安置するために建立した。また、孫八は詩歌の道を極めようと精進していたが、ある日、旅僧が観音堂を参拝に訪れ、二人で夜を徹して和歌 […]
この武甲山御嶽神社里宮で奉奏される太々神楽は、文禄5年(1596)鉢形守城日下部丹波守が、古例にならい武運長久、百穀豊饒を祈り奉奏したのを起源と伝え、享保12年(1727)よりしばらく中断していたというが、文政元年(18 […]
写絵は、現在のスライド映写機のようなもので、享和年間(1801~04)に始められたといわれる。宇根の手法は、語りに説経節を取り入れたのが特徴である。 数台の桐製の風呂(映写機、すでにレンズを使用)を用いて、種板(スライド […]
幕末から明治にかけて秩父では、気楽流や奥山念流の柔術が盛んであった。 気楽流柔術第14代本橋惣五郎満之(1842~1912)は加藤軍司良正に師事し、明治25年(1892)自宅に道場「弘武館」を創設して、嗣子・第十五代萬作 […]