京都嵯峨の清凉寺にある釈迦如来立像は東大寺の僧奝然が寛和2年(986)宋より護持し、入洛したが、後世に多くの模作が現れ、これを清凉寺式釈迦如来立像と呼んでいる。 この像は、縄目状の編髪、水波状の衣文を示す通肩の衲衣など、 […]
この神社は、地元では「天王様」と呼ばれ、天思兼命・牛頭天王を祀っている。社殿は高さ3m、間口0.66m、奥行1.2mで、昭和41年9月25日台風によって本殿が倒れた際、屋根裏から棟札が発見された。それには 手置帆負命彌五 […]
茂林寺は曹洞宗、山号は神移山。本尊は阿弥陀如来を安置する。 舟乗観音は千嶋壽氏の調査によると、もとは日向山山中の小堂に安置されていた。舟に乗った木彫立像の聖観音で、像高は87cmを測り、形態細やかな仏像である。厨子は宮殿 […]
法長寺涅槃会本尊として用いられるもので、画面縦2.75m、横3.12mの大涅槃図である。北枕西面右脇下にして涅槃にはいる釈迦像を中央に、それをう囲繞して悲嘆にくれる多くの仏弟子、諸王、動物たちを極彩色で描き、釈迦とそれを […]
荻野堂の草創から札所として繁栄を迎えるまでの経緯をー巻の絵巻物にまとめたもので、その内容は、行基菩薩が武甲山に住む山姥を退散させ、万民安堵のため滝に祈ると聖観音の尊像が現れ、その姿を彫り蔵王権現社に聖観音像を安置した。後 […]
武甲山御嶽神社里宮社務所は、12畳3部屋からなり、各部屋を仕切る杉板戸に、さまざまな画題の杉戸絵が濃彩(一部墨彩)で描かれている。 まず「菊花籬図」2面とこの裏2面は「磯に苫船図」で、これのみが障子戸の腰板に描かれている […]
武甲山御嶽神社里宮の本殿・内陣の梁上に懸けられており、縦56.7cm、横89.0cmの大絵馬である。四隅に刳り込みを入れた欅の1枚板に、馬丁2人に口を取られた赤腹帯の神馬1頭を墨に淡彩で描いている。画面右下に「狩野素川筆 […]
姥神観音堂(赤谷山岩本院)は赤谷観音堂とも呼ばれ、千手観音を本尊とし、脇仏に馬頭観音、十六善神を安置している。 千手観音、馬頭観音の縁日は従来1月17日であったが、平成15年よりその前後の土、日曜日を縁日として行事を行う […]
愛宕神社は、地元の故千島熊蔵氏によれば、根古屋城を築いた頃に、今の地に祀られたという。 秩父地方は、古来より修験道の盛んな地域であったので、神仏折衷様式の建物が存在するのが当然であるが、遺構は皆無に等しい。この本殿は類例 […]
島田家は鉢形城主北條氏邦の家臣・嶋田三河守四郎左衛門が初代といわれているが、故千島熊蔵氏の調べによると、四郎左衛門以前に200年の歴史があり鉢形城が落城したので位牌を焼き、墓を壊し家族をのこすため出家して札所六番荻野堂の […]
秩父札所八番西善寺境内にあり、幹の周囲3.75m、高さ10m、枝張り東西17.5m、南北17.5mの樹勢旺盛な巨木である。樹齢推定500年とも600年とも言われ根張りも見事で、枝下は一面苔に被われ、さながら幽玄の世界を醸 […]
井戸は武甲山御獄神社里宮の鳥居の東側、城谷沢沿いに位置し、深さは4mを測る。『横瀬村史』(1952年刊)によれば、根古屋城に居住していた浅見伊賀守慶延が、地元の産業として絹布の生産を奨励し、その染色に用いた井戸といわれる […]