若林家は、松山城主上田氏の家臣・若林主計(寛永20年〔1643〕没)が落城後、下郷に移り住んだと伝えられ、当家は代々組頭をつとめて、年番で名主役を兼ねていた。
明治になって、横瀬村の戸長、連合戸長、初代村長を歴任している。
この日記は、文政2年(1819)から明治21年(1888)までの70年間に及び、若林家の先祖・又右衛門三代(代々襲名)によって記録されたものである。
天災や飢饉に苦しむ村人の生活、明治新政府の目まぐるしく変わる諸政策、物価の変動、新しい横瀬村の変遷など、郷土の貴重な歴史が記されている。
なお、横瀬の人形芝居は初代村長をつとめた四代目若林又右衛門により始められたものである。