この神社は、地元では「天王様」と呼ばれ、天思兼命・牛頭天王を祀っている。社殿は高さ3m、間口0.66m、奥行1.2mで、昭和41年9月25日台風によって本殿が倒れた際、屋根裏から棟札が発見された。それには
- 手置帆負命彌五郎殿
- 奉謹清天思兼命牛頭天王
- 天彦狭知命居森殿
- 弘化三年丙午八月吉日
- 棟梁 荒木和泉正藤原脩安(山田村)
- 門弟 寺尾村内田申太郎(外七名)
- 地元世話人 横田傳右衛門(外十一名)
とあり、弘化3年(1846)地元の名主を筆頭世話人として建立されたことがわかる。
彫刻は中国の寓話、三国志、鳥獣などを素材としている。
かつて、この社殿は現在地の東方の小高い天王山山頂に祀られていたが、明治42・3年頃、社を解体せず大勢で担ぎ下ろし、遷座したといわれている。
現在、例大祭は4月第1日曜日に行われ、付祭に町指定文化財「宇根の山車」(後出No27)が奉曳される。