大型の宮殿型厨子で、須弥壇に据付ける。背面を断ち落とし、堂の白壁を後壁としている。軒唐破風を付けた入母屋造・銅瓦葺の屋根や木鼻を龍頭・鷁首で飾った柱上の三手先組物、桟唐戸はじめ身舎正面を金色の彫物で賑やかに装飾した豪華な仕上げを見せている。
厨子の内外に寄進銘等が見当たらず、確かな製作年代を明らかにしない。ただ本尊の光背支柱に記された宝永2年(1705年)の年紀が1つの指標となる。厨子表面を飾る木鼻や桟唐戸の浮彫等の彫りの調子にいささか形式化の傾向が見られること、また桟唐戸裏に貼り付けられた四天王像の彫刻表現も様式的に丁度その頃の特徴を見せていること等から判断すると、厨子本体も光背・台座に先だって、それほど隔たらない江戸時代前期から中期にかかる頃に製作、寄進されたものではないかと推測される。