若林家は、松山城主上田氏の家臣・若林主計(寛永20年〔1643〕没)が落城後、下郷に移り住んだと伝えられ、当家は代々組頭をつとめて、年番で名主役を兼ねていた。 明治になって、横瀬村の戸長、連合戸長、初代村長を歴任している […]
加藤家は、鉢形城主北條氏邦の家老・加藤駿河守の子孫で、代々中郷の名主の家柄を伝え、四郎次・四郎左衛門・亀三郎・四郎治は、それぞれ、忍藩秩父領の割役名主(名字帯刀)をつとめている。 当家所蔵の古文書は近世の地方文書、秩父領 […]