気楽流柔術は、戦国時代の武技から発達したもので、本来、攻撃してきた敵を必ず倒すことを目的とした武術であり、太刀を持つ敵には、太刀・棒・鎖鎌等で応じる術も多く、当て身や逆手を好んで使った。 この顕彰碑は明治26年(1893 […]
この寿碑は嘉永元年(1848)に建てられ、大野玄鶴(大野原生れ医師、秩父志の著者)の撰文並びに書による。 算学者加藤兼安(1786~1857)は、川西地区三角に生まれ、名を治兵衛といい、天保から嘉永年間にわたり数術を広め […]
持山寺(通称)跡は「阿弥陀山念仏寺」の廃寺跡であり、武甲山から続く小持山の山腹、標高およそ900mに位置し、生川の源流にあたる場所に所在する。 杉におおわれた平坦地には、堂宇の基壇や嘉永7年(1854)、鎌屋藤兵衛の供養 […]
芦ケ久保の入山地区の追分にあり、ミツデカエデの大木の下の秩父側に立てられている高さ90cm、幅46cm の自然石の道標である。 右は名栗・八王子と記され、山伏峠を越え、名栗村で、根古屋の生川沿いから妻坂峠を越えてくる道と […]
城跡は、大机山から西へ延びる尾根の末端にある。東側を除く他の3方向は生川と天狗堂沢に囲まれ、急峻な地形を呈し、妻坂峠からの秩父街道を監視する位置にある。 本郭は標高480mほどにあり、河岸段丘との比高差は200mを測り、 […]
この城跡は、大机山から北へ延びる尾根の末端にあり、横瀬川、生川、小島沢、城谷沢に囲まれた山城で、正丸峠からの秩父街道を監視し、「前山」とも「城山」とも呼ばれる。 本郭は石灰岩の採掘により破壊され、一部が残されるのみである […]
萬松山大慈寺(曹洞宗)といい、円通伝によると延徳2年(1490)開創東雄朔方禅師(大和尚)により開山、本尊は聖観音(伝惠心僧都作)である。「長享二年秩父札所番付」(1488)には、寺号大慈寺が記されている。 仁王門は、樓 […]
明星山明智寺(臨済宗)といい、建久2年(1191)明智禅師が堂を建てたといわれている。本尊は如意輪観音(伝惠心僧都作)である。 縁日は正月1月16日と盆の8月16日で、安産守護の観音として、近在の婦人たちの参拝で賑わう。 […]
町指定史跡(昭和48年1月31日指定) 清泰山 西善寺(臨済宗南禅寺派) 秩父三十四観音霊場 札所八番 東国花の寺百ヶ寺 埼玉1番 禅宗寺院としての開山は北条家出身の田村円福寺第三世 竹印昌岩和尚(1464)   […]
札所七番堂は牛伏堂といい、本尊は十一面観音(伝行基作)である。当初、根古屋3区の牛伏にあったが、天明2年(1782)の災害にかかり別当寺の法長寺本堂に移され、これ以降、合わせ祀られている。このことから、現在、法長寺は札所 […]
札所六番堂は荻野堂といい、本尊は聖観音(伝行基作)である。縁起によれば、本尊は武甲山頂の蔵王権現社に永く鎮座していた後に、荻野堂に移されたと伝える。当初、荻野堂は苅米5区の竹の後にあったが、火災に逢い、宝暦10年(176 […]
小川山語歌堂(臨済宗)といい、本尊は准胝観音である。本間孫八が慈覚大師作と伝えられる准胝観音を安置するために建立した。また、孫八は詩歌の道を極めようと精進していたが、ある日、旅僧が観音堂を参拝に訪れ、二人で夜を徹して和歌 […]